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大阪高等裁判所 昭和53年(行コ)43号 判決 1979年8月15日

大阪市都島区都島本通二丁目四三番地

(送達場所 同市南区高津町一番丁七二、津田ビル内)

控訴人

株式会社東洋興発

右代表者清算人

爾口典慶

大阪市旭区大宮一丁目一番二五号

被控訴人

旭税務署長

真野新

右指定代理人

上原健剛

小林修爾

中野清

則岡信吾

右当事者間の法人税決定処分取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し、控訴人の昭和四五年一二月一日から昭和四六年一一月三〇日までの事業年度分の法人税について、昭和四八年五月二一日付でなした所得金額を一億三五六六万八七五二円とする決定処分(裁決により一部取消された後のもの)のうち、二六四〇万七五五六円を超える部分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

二  当事者の主張及び証拠関係

次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  原判決は、恒和興業からの土地買入価額の坪単価が必ずしも控訴人と湖国産業との土地売買契約の際の坪単価になるわけではないとしているが、同時期、同場所、同条件の土地の買入れに際し、同一の買入者がそれぞれ著しく異なる価額で買入れることは絶対にありえない。それが同一価額になることはないとしても、ほぼ類似した価額になることは推認できるはずである。

(二)  株式会社滋賀銀行本店と岡野弘毅との間の昭和四四年四月二五日付土地売買契約書では、湖国産業株式会社の土地のほか平井邦芳及び安川ふさの土地を含め契約の対象としているが、当時同銀行は平井及び安川所有地が岡野弘毅によりまだ買収されていなかったことを十分知りながら必ずこれを買収させるべくあえて右土地を併せ契約しており、岡部も土地買収交渉の経過を遂一同銀行に報告し、同銀行の同意の指示を受けて同土地を買入れており、また右買入れ後は同銀行と再度にわたり契約変更の契約書を作成し追加支払を受け、この間同銀行は銀行貸付の形で岡野に資金面の援助をしている。これら一連の事実からすれば、控訴人は前記平井及び安川の土地買入に際しては同銀行のダミー的役割を果たしたものでなんらの利益を得ていないことが明らかである。

(三)  本件決定通知書を出会送達することについては、岡野は異議を述べなかったわけではなく、ただ述べようとしても、旭税務署の係官によって無視され、強引に決定通知書を手渡されたものである。また控訴人の本店所在地には、休業状態のため、事務所が実在していなかったが、被控訴人は税務調査により前記岡野の住所が大阪市北区松ケ枝町六一、松ケ枝荘三号室であることを知悉しており、差押調書等も同所に送達しているのであるから、控訴人の本店所在地に事務所がなかったから出会送達によったとの被控訴人の主張は失当である。

2  被控訴人の主張

(一)  控訴人が主張する恒和興業からの買入価額との比較については、その売買契約締結の時期が昭和四四年六月であり、湖国産業との売買契約締結時点である同四三年八月二七日(乙第一号証)から約一年も後の取引であり、当時は公知のとおり急激な地価上昇の最中にあり、まして取引の相手方も異なるのであるから、右主張自体失当というべきである。

(二)  被控訴人が、本件課税処分通知書の送達を出会送達の方法によったことについて、控訴人が異議を述べていないことは自ら認めているところであり、送達記録書(乙第一二号証)には岡野弘毅が自己の署名押印をし、受領や署名押印の拒否がなかったことが明らかである。

3  証拠関係

被控訴人は、乙第一二号証、第一三ないし第一五号証の各一、二、第一六号証の一ないし四、第一七号証を提出し、控訴人は、乙第一二、第一七号証はいずれも成立を認める、第一三ないし第一五号証の各二、第一六号証の二、四はいずれも郵便官署作成部分の成立を認めるが、その余は不知、乙第一三ないし第一五号証の各一、第一六号証の一、三の成立はいずれも不知と述べた。

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は全部理由がないと判断する。その理由は次に訂正、付加するほか、原判決理由一ないし四に説示するところと同一であるから、これを引用する。

1  原判決九枚目表一〇行目から一一行目「争いがない」の次に「、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第一三号証の一」を、同末行目の「認定に反する」の次に「成立に争いない乙第一七号証、」を、同一〇枚目表七行目「第四号証の一、二」の次に「、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第一三、第一四号証の各一」を、同一〇行目の「認定に反する」の次に「乙第一七号証、」を、同一一枚目表四行目「乙第五号証の一ないし四」の次に「、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第一六号証の一、三」を、同六行目の「認定に反する」の次に「乙第一七号証、」を、同一一枚目表一〇行目の「第一一号証」の次に「成立に争いない乙第一二号証」をそれぞれ加える。

2  原判決九枚目裏一一行目から同一〇枚目表五行目までを次のとおり改める。

しかし、成立に争いのない乙第六号証の一ないし三、第七号証の一ないし四、第八号証の一、原審証人上野旭の証言によって成立が認められる乙第八号証の二ないし四、第九号証の一、二、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第一〇号証、右証言によると、控訴人と湖国産業との間で昭和四三年八月二七日なされた前記土地の売買契約では、買主たる控訴人において代替地として大津市膳所池の内町六七〇の外の内八〇〇坪を二〇〇〇万円で同社に譲渡する旨の取り決めがなされていたので、右土地に替え、前記田中伊蔵所有地を代替地として取得することとなり、岡野においてその売買交渉にあたるようになったものであるが、売買契約の最終段階である司法書士事務所での所有権移転登記の際、同会社の担当者もこれに関与しており、売買契約書の当事者も買主同社と売主田中伊蔵となっていること、右手付金五〇〇万円を含む二三七六万円の支払も同社の出捐によりなされたものであり、盛土等の工事をした岡本金三郎の契約書(昭和四五年六月一八日付)の相手方は湖国産業となっておりその費用も同社が負担していることが認められ、右事実によれば控訴人において代替地を取得しその費用を支出したとみることはできない。」

3  原判決一〇枚目表一二行目「坪単価になるわけではない。」とあるのを「坪単価になるわけではなく、また前記乙第一号証によると、湖国産業と控訴人との間の本件土地売買契約がなされたのは昭和四三年八月二七日であり、弁論の全趣旨によって明らかな恒和産業との売買契約がなされた昭和四四年六月より約一年前の取引であるうえ、原審証人岡野弘毅の証言によると、右湖国産業との売買契約の代金額は昭和四一年ごろ取り決められた金額により再契約したものであることがうかがわれるから、この代金額と恒和興業との売買契約の代金額との間に相当程度の差異のあることはむしろ当然のことといわなければならない。」と改める。

4  原判決一〇枚目裏一二行目と一三行目の間に左記説示を加える。

「控訴人は、右各土地買入にあたっては、別途金として平井邦芳に三三〇〇万円、安川ふさに二七六〇万円が支払われていると主張するが、この点に関する乙第一七号証、原審証人岡野弘毅の証言は金員の出所について極めて不明確な供述をしていることなどからみて信用し難く他に右支払がなされたことを認めるに足りる証拠はない。仮に右支払がなされたものとすれば、平井所有地は坪単価約四〇万円で、また安川所有地は坪単価約五〇万円で取引されたことになり、成立に争いのない甲第一五、第一六号証によって認められる昭和四五年当時の右各土地の評価が坪あたり二四万円程度であることに比較して、著しく高額となることからみても、右のように認めざるを得ない。

また、控訴人は右各不動産の取得は、控訴人が滋賀銀行の土地取得にいわばダミー的存在として関与したに過ぎないものであり、控訴人はなんらの利得もしていないと主張し、原審証人岡野弘毅の証言によれば、控訴人が右各土地を買入れるに際しては事前に同銀行との間に売買契約を締結しその後右各土地を買入れている経緯がうかがわれるが、控訴人が同銀行のダミー的存在であったと認めるに足る証拠はない。仮に所論のごとくダミー的存在であったとしてもこのことの故に右各土地の買入高が前示認定額より高額でなければならないものではない。」

5  原判決一一枚目表七行目と八行目の間に左記説示を加える。

「控訴人は、右大津製函からの土地取得に際し控訴人は別途金五〇〇〇万円を支払っていると主張するが、この点に関する乙第一七号証、原審証人岡野弘毅の証言は金員の出所について極めて不明確な供述をしていることなどからみて信用し難く、他に右支払がなされたことを認めるに足りる証拠はない。」

二  よって、民訴法三八四条一項に従い本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村瀬泰三 裁判官 林義雄 裁判官 弘重一明)

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